(生年月日:1984年12月18日)
柔道整復師 / 鍼灸師
東京オリンピック 陸上競技トレーナー
日本陸上競技選手権大会
東京マラソン
横浜国際女子マラソン
セイコーゴールデングランプリ陸上
IAAF世界リレー2019
BELL ATHLETICS JAPAN専属トレーナー
日本陸上競技連盟トレーナー
国体・陸上競技 群馬県代表チームトレーナー
全中・陸上競技 群馬県代表チームトレーナー
高校時代、高跳びの選手として活動していました。
「もっと高く跳びたい」
その事ばかりを考え、日常のすべての行動はそのためにあったと言っても過言ではないくらい、没頭していました。
そんな中、練習のし過ぎか、足のすねに違和感が出て来ました。
予想はしていましたが、病院に行って診てもらうと【疲労骨折】でした。
医師に「休みなさい」と言われ、数週間休みました。
休んでいる間は、心中穏やかではありません。僕が休んでいる間にも他の選手は厳しいトレーニングをこなしているわけですから。早く練習がしたくてしたくて堪らなかった。休んでも、症状は一向に良くなりませんでした。
どうしたら良いか分からず、別の整形外科を受診しました。
「もう、陸上競技をあきらめた方が良い。」
接骨院にもいくつか通いました。どの接骨院も、言う事は大体一緒でした。
「安静にした方が良い。とりあえず電気をかけておきます。」
治療の専門家からは絶望的な反応しか返ってきませんでしたが、それでも自分の選手生命を諦めきれませんでした。いつしか、私は、自分で自分の運動の癖を研究するようになりました。
「自分の動きの中に何かしらの原因があるかもしれない。」
という仮説が頭の中に浮かんだからです。
仮説はあくまで仮説でしかありませんが、
藁にも縋る想いでしたので、その仮説を信じる以外に、選択肢は残されていませんでした。
図書館に行って、解剖学、運動学の専門書を読み漁りました。
そして得た知識を用いて、実験的に自分の体で試行錯誤してみました。
実験に実験を重ねた結果、高跳びが跳べるようになったのです。
もちろん、症状が劇的に良くなったわけはないのですが、症状の悪化を防ぎ、最小限の痛みで高跳びを跳べる術を得るに至りました。
この時、私は決心しました。
選手を引退をした後は、自分のように痛みと向き合い苦しんでいる人を、少しでも楽に出来るような接骨院を開業しよう、と。
その後、約10年間の接骨院での修行期間と、スポーツトレーナーとしての活動期間を経て、さかにし鍼灸接骨院を開業するに至りました。
釣り
枝豆
スノーボード
患者さんとのコミュニケーション
ラジオ波
どんな人でも笑顔で満足して頂けるような接骨院を開業したいです。
いろんな、スポーツの選手を支えられるようなトレーナーになりたいです。
将来の夢は独立して自分の接骨院を開業することです!また、中学生から始めた陸上競技(三段跳び)をこれからも続けていこうと思っていますので、大会等で見かけた際には声をかけてもらえると嬉しいです!